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唯神論・楽園の終りと神々の時代

 蛇=混沌・カオスより万物が生じる。
全一たるが故に、人称を持たぬ蛇はこの時、彼我の認識を得る。
揺籃の内にあるまどろみの楽園は、自他の分離にり完全性を失う。
“我”なる認識が全一を破壊する。
ここに、宇宙が全一であった楽園の時代が終焉を迎える。

 彼我の認識。
それこそが、エデンのリンゴの実である。
これより後、全ての物質と生命の孤独が始まる。

 やがて、混沌・カオスより大地・ガイアが生まれる。
ガイアは愛・エロスと暗黒・エレポスと天・ウラノスと海・ポントスを生む。
やがて、ウラノスは神々の王となる。

 天と地がつがって、十二柱の巨神・ティターンが生まれる。
ガイアはその後、キクロペと呼ばれる巨神を三柱、ヘカトンケイルと呼ばれる巨神を三柱生む。

 しかし、神々は完全性を欠いた蛇の抜け殻より生じたが故に不完全であった。
彼我の認識を持つが故に、全一たる認識を欠く。
ここに全ての悲劇の源がある。

 そして、悲劇の時代が始まる。
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唯神論・楽園5

 生命は有限である。
有限であるが故に時間軸上に“現在”のみを所有する。
生命にとって“過去”は記録されたものであるに過ぎず、“未来”を所有しない。
ただ現在のみを知覚・意識し、所有する。

 過去を記憶しないが故に、時間連続体としての認識を有さない。
故に、個体としての変貌を厭わない。
また、未来を所有しないが故に、常に現在に適応しようとする。

 このような理由により、生命は戦略的に進化し、分化してゆくことになる。
所有しない未来に対して、個別化・特殊化した種を産み出すことににより対応する事を、基本戦略として選択する。
古き種は新しき種を生み、滅亡と誕生を繰り返す。

 それは、生と死を繰り返し進化してゆく。
有限なるものは、生と死を繰り返すことにより、螺旋を巡らしてゆく。
有限なるものは、進化し続けることにより、無限の螺旋を登り続けてゆく。

 有限なるものもまた、繰り返す事により無限を獲得する。
死すべきものもまた不死である。
万物にはすべからく螺旋・不死という蛇の本質が宿っている。

 宇宙は大いなる蛇の懐に抱かれている。
宇宙は、覚醒しつつまどろむ蛇の見る夢である。

唯神論・楽園4

不死なる蛇は無限に脱皮を繰り返す。
蛇は螺旋である。生と死を繰り返す螺旋である。
生と死もまた、状態の変化に過ぎず、本質ではない。
蛇は螺旋状に拡散し続け、一方で収縮を続ける永遠である。

 脱皮により脱ぎ捨てられた古き表皮もまた蛇である。
そこに、蛇の本質の全てが備わっている。
しかし、それはまた、蛇の一部であるが故に全一たる資質を欠くものでもある。

 その意味に於いて、古き表皮は不完全な蛇であるとも言える。
不完全であるが故に、それは無限足りえない。
それは、“個”としての同一性を認知し得ない。
その意味に於いて、それは不死の資質を欠くものである。

 古き蛇の表皮より、生命が誕生する。
生命もまた蛇である。
しかし、生命は不完全な蛇であるが故に有限である。
有限である事が生命の宿業であるのは、このような理由による。

唯神論・楽園3

 蛇は拡散する。
意識は宇宙(そら)に偏在する。
宇宙は我であり、我は宇宙である。
蛇は限りなく“有”の領域を押し広げて行く。

 一方で、蛇は収斂する。
虚無の蛇は虚数の宇宙を創り出す。
虚無はさらなる虚無へと収斂し続けて行く。
拡散と収斂により、宇宙は均衡を保つ。

 全一なる蛇は有と無へと分離し、限りなく拡散し収斂し続けて行く。
しかし、有と無の蛇は、分離しながらもなお一である。
“有”の蛇は進化を司り、“無”の蛇は退化を司る。
“有”の蛇は時間軸を前進し続け未来へと向かう。
“無”の蛇は時間軸を後退し続け虚無よりもさらなる過去へと向かう。

 二つの蛇は、創造と破壊を司る。
それでもなお、創造と破壊の蛇は一である。
始まりの蛇と、終末の蛇は一である。
光と闇は一である。
善と悪も表現の裏表に過ぎない。

 蛇=混沌は、白と黒の巴紋である。
白の混沌は黒点を有し、黒の混沌は白点を有する。
混沌は太極である。
太極は互いの尾を喰らいあう蛇である。
絶対矛盾の自己同一こそが、蛇の本質である。

唯神論・楽園2

 蛇は思考する。
思考は波動である。
その波形と波長による思考。
まだ思考とは呼べぬその思考は、“在る”と“無い”に始まる。

 唯一無二の存在である蛇にとって、人称は存在し得なかった。
他者が不在であるが故に、“我”もまた不在である。
ただ蛇という波動があり、そのほかになにも存在しなかった。

 故に、孤独も愛も葛藤も存在しない。
ただ、虚無に在らず。
蛇と言う波動のみが存在する。

 やがて、蛇は無限の空間に散在する波動を集め凝縮することに思い至る。
それは限りなく凝縮されてゆく。
そして、観念上の存在でしかあり得ない“点”にまで収斂されてゆく。

 ここにおいて、蛇は初めての意思を発動する。
その意思は“在れ”であった。

 無限に凝縮された波動が、一気に拡散する。
無限大の質量が生まれ、エネルギーの奔流となり広がってゆく。
光が生まれ、音が生まれ、空間が生まれ、時間が生まれ、質量を持ったものが生まれ、それらはあまねく広がってゆく。

 宇宙が開闢された。

唯神論・楽園

楽園



 エデンは中有に浮かぶ。
楽園は未明に在る。
光は未だ現れない。
故に闇もまだ生まれない。
エデンは光と影が別たれる以前の、黄金の黄昏に
満たされている。
 生まれ出る以前の世界。
生と死は未だ別たれてはいない。
全ては、有と無の中間でたゆたっている。
故に中有という。
 ただ、意識がある。
意思があり、思考がある。
混沌とした精神の萌芽である。
 “混沌”は生と死を内包している。
世は死の尾を咥え、死は生の尾を咥える。
故に“混沌”の姿は巴紋で表される。
 “混沌”は光と闇を内包している。
光は闇の頭を抱き、闇は光の頭を抱く。
故に“混沌”は白と黒の巴紋であり、太極である。
 “混沌”は有と無を内包している。
有は無へ転じ、無は有へと転じる運命力を持つ。
有と無の輪廻に終わりは無い。
故に“混沌”は無限の螺旋である。
 故に“混沌”は、自らの尾を咥えた蛇である。
始まりも終わりも無い蛇である。
それは、永遠である。
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